エプロンにまつわるエトセトラ
エプロンの起こりは古く、古代エジプト時代から存在します。当時は王様や僧侶など権力者の唯一の象徴として使用され、中世には武装の一部として用いられていました。
いわゆる「エプロン」として登場するのは、16世紀ころから農民・労働者の実用的な外衣として広く普及し始めます。ヨーロッパの17・18世紀には貴族・上流階級の人々によりエプロンは装飾品としてブームに火を付けます。人々は豪華な、美しく飾りたてたエプロンをファッションの流行として競い合います。形が小さく、精巧なレースや金糸や銀糸の刺繍の施されたもの、ポケットのついたもの、三角やひし形などの小さな胸当てのついたものなどが現れ、だんだんと豪華さを増し、布地も贅沢なものが使われるようになります。やがて、フォーマルなドレスに「飾りエプロン」を着用することが流行し、ついに宮廷服にまで及びました。
もっとも豪華なエプロンとして知られているのは、フランスのアンリ4世の妃マリー・ドゥ・メディシスの用いたダイヤモンドや真珠を2,000個あまりも付けたものが有名です。同じくフランスで、ルイ15世の寵愛を受けたポンパドールは、金糸・銀糸で織らせた布に一面ダイヤモンドを散りばめたエプロンを、ルイ16世の妃マリー・アントワネットは1770年頃、絹のローブの上に、レース・リボン・生花・造花・花模様の布などで飾り立て、その上に真珠をあしらったエプロンをしていたと言われています。
いづれも、現代のエプロンとは程遠い、各者負けず劣らずの豪華エプロン対決といったところです。想像しただけでも頭が眩みますが、これらが実用目的としないものであることは確かです。
日本では、弥生時代のはじめに織物が存在していたことが確かめられています。その後、起源は中国から渡来されたと言われておりますが、作業用として日本における「前かけ」が庶民・商人の大衆に、時代を超えて長い間用いられるようになります。古来からの日本のきもの文化が育んできたこの「前掛け」、胸当ての無い腰から下げる一枚の布からか、江戸時代には「前垂(まえだれ)」と呼ばれました。

「文明開化」「鹿鳴館」・・・。洋服とともにヨーロッパから現代の形のエプロンが入ってきた明治時代は、「洋装前掛け」「サロン」と呼ばれ、やがて婦人達の憧れを誘うようになります。

大正時代の服飾文化の代表として登場する”カフェー”の女給スタイルは、頭は洋髪を結い、きものの上から胸当て付きで丈の長い白いエプロンを付けるという「和洋折衷」的なスタイルでした。

そしてきもの文化漂う戦後、庶民にとってまだまだ前掛けや割烹着の全盛であった時代の中、昭和40年代に海外のブランドを用いたファッション性の高いエプロンが登場し、その名も「ドレスエプロン」で爆発的エプロンブームを呼びます。これまでの実用本意の単なる「汚れ防止」のユニフォームから、ファッション性に富んだ婦人用ホームウェアの必須アイテムとして大きな飛躍を果たし、その定着化を実現致しました。現代、その形は皆さんのイメージするエプロンの通り。

子供の頃、台所にたつエプロン姿のお母さんに大人への憧れを抱きませんでしたか?
故郷のお母さんをふと思い浮かべる時、エプロンの似合う笑顔ではないですか?
「 エプロン」は人と人との関わりの中、時代とともに歩んでいます。
エプロンの歴史について、いろいろ前述いたしましたが、果たしてその名の語源はといいますと、この「エプロン」という呼び名はさかのぼること13世紀の「アポーン(aporne)」,14世紀になって「ナプロン(napron)」と呼ばれます。そしてこの「ナプロン」のスペル「napron」で「a napron」であるのを「 an apron」と勘違いをして、「an」を除いた「apron」(英語)になったのが由来とされています。実は、「ナプロン(napron)」の語源はラテン語「mappa」(マッパ)と言われており、その意味は「一枚の布」。この「一枚の布」は何千年の時を経て、現代にエプロンをもたらしてくれました。
現在、エプロンは地域・文化・世代を超えて様々なシーンで人々に愛用されています。毎日の家事・仕事はもちろんですが、世界の民族衣装の中には、実用よりも装飾を目的とした美しい芸術的なエプロンが数多く見られます。黒の絹地にスパングル、ビーズ、金糸の刺繍をほどこしたユーゴスラビアのエプロン、毛織物にビーズや毛糸で、華やかな刺繍をしたエプロン、細かいアコーディオン・プリーツのスカートと組合わされた刺繍のあるエプロンはその代表ともいえます。

余談ながら国によりエプロンの呼び方はさまざま。
フランス語では「タブリエ(tablier)」、ドイツ語では「シュルツ(schurzu)」と呼ばれています。

<参考>順不同、敬称略
繊研新聞(繊研新聞社)、日本繊維新聞(日本繊維新聞社)、田中千代服飾辞典